1カ月以上更新できていなかったようです。この間リアルな生活では引っ越したり、新しい仕事をはじめたり、取材を受けたり、色々なことがありブログを書く気になかなかなれず。本当はこまめに更新して後から見返せるようにしたかったけど、今から思い出して書いていこう。
私が和歌山県某市に引っ越してきたのは9月27日のこと。前日は大学同期と飲み会(私の送別&転職祝い)を開き、午前は大家さん立ち合いのもとシェアハウスの退去手続きを済ませた。ここには約1年程度お世話になったけど、自分がシェアハウス暮らし(特にはじめましての人と暮らすタイプ)にはとことん向いていないということが分かったのが一番大きな収穫だと思う。気心知れた友人と暮らすならまた違うかもしれないが、初対面の人と暮らすということは、関係性ゼロの地点から不満のパラメーターが急速に積み上がっていく現象を解消するなり飲み込むなりする必要に迫られるということであり、自分にはそれが向いていないということがはっきり分かった。自分が割と神経質であり、生活音や共用部分を使った後の状況が気になるタイプだということも分かった。いや、ドア1枚隔てているとはいえ、毎晩クチャラーが隣の部屋にいたらなかなかきついで。毎日住む家はやはり心の底からくつろげる場所であってほしいと切に願っている。
午前10時ごろに家を後にして、車で7時間ほどひたすら西へ進む。今日中に不動産の方に鍵を渡してもらう約束をしている。あまり休憩をしている暇はないが、疲れから黒塗りの高級車なんかに追突してしまっては元も子もない。だけど不思議とこの日は疲れも眠気も感じなかった。海老名で一度大きな渋滞に巻き込まれて以降順調に到着時刻が遅れていったが、道中担当の方と連絡をこまめに取り合っており、営業時間を過ぎた後も渡して頂ける運びとなった。すっかり日も暮れ暗くなった道の端に担当の方が立っていた。私一人で運転してきたことに驚き、ゆっくり休んでくださいと気遣いいただき、分からないことがあったら何でも連絡してくださいと心強い言葉もかけてくださった。この方に担当してもらって、この物件に決めてよかったなあと心が温かくなった(というか、相見積もりの段階で返答があったのがここともう1つの不動産会社だけだった。連絡に気づかないならメールフォームを置かないでほしい怒)。この町での生活の幸先いいスタートが切れた気がした。端にベッドフレームがぽつんと置かれているだけの部屋で、マットレスも買っていないのでこの日だけ床で寝る。
翌日、町で一番大きいロードサイドのスーパーに行き、品ぞろえの充実ぶりと初めて見る薬(和歌の浦とか)とか関西風お好み焼きセット(卵を混ぜて焼くだけ)とか初めて見る商品にテンションが上がる。海を見に行き、ついでにマットレスも買いに行く。
翌29日、引っ越し業者が到着し追加の荷物や家具が運び込まれる。後日業者が忘れ物をしたとかで連絡があったりしたが、トラブルはなく、毎日ホムセンやスーパーに買い出しに出かけては部屋を少しずつ片づけていく。
10月1日、新しい職場でのあいさつと取材があり、大したことはしていないが帰宅後は少しぐったりした。その1週間後に別の媒体の取材があったが、同じ質問でも時間を置くことや自分のコンディションによって発する回答が違ってきていて、前の質問ではこう答えればよかったな、と思うこともあった。まだ何も取り組みが始まっていないのにインタビューに取り上げられて、何も成果を残せなかったら恥ずかしいなとも思った。
それからというもの、仕事をしたり、出かけたり、料理をしたりと穏やかな日々が続いている。両親や親族は私の移住に関して心配し再三警告やお小言があったが、私が新聞に載った一面を写真に撮って母に送ったところ、親族にも転送していたらしく、「大好きな場所で頑張ってください」とLINEのメッセージが送られてきた。その人は私が前の職場を辞めて移住をすることにネガティブな懸念を伝えていた(母経由で私に送られてきた)ので、私はその時「たとえ反対に遭っても、新聞に載るとか、暮らしぶりが分かる便りを見せたり、何かしらの目に見える形で活動を続けていられるなら、反対の声なんて最初から気にする必要ないんだ」と思った。どんな活動にも言えることだけど、アンチには芯がない。簡単にくじけてしまったら、反対する人も支持してくれる人も自分も誰も救われない。自分のやっていることに反対する人が現れたとしても、活動を続けていれば評判が覆って今まで届かなかった人にも認められることがある。もっとやれるとこまで頑張ってみようと思う。




