令和三年のピンホール

20代会社員の撮影にまつわるよもやま話

コミュニティとペルソナ

先日、会社で案内された自由参加のセミナーなるものに初めて参加してみた。そこで知り合ったお姉さんと飲みに行って滅茶楽しかったから、セミナーそのものが楽しいというよりそっちの印象にひっぱられているけど、概して刺激的で楽しい場だった。高校卒業以降、コミュニティ活動をわりとがんばっていて、ただ、コミュニティの種類によって自分の満足度とか得られた体験の質が全然違うから、この機会に分類して整理してみたいと思う。

 

セミナー

満足度 ★★★★

役立ち度 ★★★

セミナーの特徴として、①同じ関心・問題意識を持っている人②同業者―が集まりやすい、がある。なので、そこで出会う人々の間に必然感・一体感が共有されて、強固な関係が生まれやすいという良さがある。

私が参加したのは仕事に関連するスマホの活用術と、業界でユニークなキャリアを歩んだ人に話を聞くという内容で、セミナーの後は登壇者および参加者の間で名刺交換&雑談タイム。最初は登壇者に話をしたい人がわらわら集まるのだけど、あぶれた人同士が待ってる間に会話を始める。共通の同僚の話題がすぐに上がって話が弾み、そこにまたひとり加わって定点になっていくという具合。仕事に関する内容とか、専門分野や関心のあるジャンルのものであるならそこから新しいつながりが生まれることが期待できるし、今後はよりリアル会場で交換される情報の価値が上がっていくと予想される。本当に価値ある情報は足を運んで得られるものだと改めて認識できた。

 

メンバーシップ制ブログ(意識高い系)

満足度 ★★★

役立ち度 ★★★★★

そのブログの存在を知ったのは、大学2年前後のことだったと記憶している。人間関係や将来について、現実の壁にぶつかり悩んでいた時期だった。本業の傍ら個人投資家として活躍している筆者の知見を生かし、断定的な口調かつ、かなり冷酷に批評し現実を突きつけていくスタイルのライフハック系ブログで、最初に読んだときは雷に打たれたような衝撃を受け、むさぼるように連日記事を読み漁った。今でも気持ちに余裕があることを確認してから読むようにしているし、気分や体調のすぐれない時は読まないように気をつけているくらいである。

そのブログにはメンバーシップに加入している読者が150人くらいいて、メンバー限定のチャット内で仕事や日常生活で人間工学を実践した感想を投稿したり、疑問や記事をめぐって議論したりしている。

途中離脱した時期も含めて6、7年が経つ。今の自分の人生観・考え方に良くも悪くも影響を与えたし、その中には必要ではなかったものも少なからずあって、体感としてはポジティブに受容したものが7割、残り3割は同意しかねる内容。今までは自分がどう生きていったらいいのかという迷いから、年長者や周囲の意見を無節操に取り入れていたけど、これからは自分の軸を強くするために不要なもの、直感に反するものはどんどん削ぎ落としていこうと思ってる。痛みを伴うだろうけど、10代のころ大好きだったバンドの曲を聴かなくなったり、好きだった作家の本に1ミリも心が動かなくなったり、多感な時期に強く心を動かされた存在との別離って、そういうものだと思う。

 

メンバーシップ制note

満足度 ★★★★★

役立ち度 ★★

中学時代、典型的なグリグリメガネの優等生だった私は、学校の玄関から入ってすぐのロビー的な場所に置いてある新聞ラックの横で全国紙を読むのがわりと日課になっていた。社会情勢に興味があったのと、単純に文字を目で追うのが快感だということに自覚的になりはじめていた頃だった。それを見ていた国語担当の教員に、投書を送ることを勧められたことは確かに記憶に残っている。文章で表現することが好きだという、素質を見抜いてくれていたアドバイスは今になって的確だったとわかるが、それが現実のこととして理解されるのは働きに出てからなのでした。

 

投書を送ったのは数ヶ月以上前のことで、もうそのときに感じていた気持ちは鮮明にはよみがえってこないのだけれど、「その言い回し、かっこいいね!」と褒めてもらえたり、自分ならこんなふうに感じると思います、とか、自分のささいな日常のことに心を寄せて応答してくれたことに、普段感じるささいな幸せより深い部分を刺激された。ハガキ職人になる人の気持ちがわかった〜!

ブログやメンシプ記事(有料コンテンツ)がSNSと違っているのは、ある一つの目的や関心でもって繋がった人たちが、自分の実存の部分を共有しているという実感が得られること。一つ上の意識高い系と並べると、どちらも投書や質問を送ることでインタラクティブな状態は保たれているし、ある種のハードル(料金)を設けることで読者の質も担保されている、という点で両者は一致している。文章のみで勝負しているから、執筆者の理念や感性に賛同する人が集まりやすくなって、そこに結束が生まれる。

違うのは、エッセイとスキルアップというそもそものジャンルと、オフ会の有無、達成目標を掲げているか否か。前者の読者は作家のファンに近いスタンスで、想像をふくらませて世界観を楽しんでいる。後者は、実生活がかかっている故に重たい印象。

 

オンラインサロンって言い換えるとファンクラブの完全ネット版なので、一概にうさんくさいとは言えないし身構える必要もないと思うんよね。今やスパチャ投げたりグッズ買ったりの課金行為全般が「推し活」として公言しやすくなっている中で、サロンも推し活ととらえて何の問題もないでしょう。自分が何の満足と引き替えに対価を払っているのかを自覚していれば、現実にまずいことにはならない。

話は少しずれるけど、友人と「大人の部室*1」的な場所って必要だよねという話をしていて、そのとっかかりとしてのサロンってありだなあ、と思ったり。

執筆者の立場からは、反射的な反応が飛び交うSNSとは違って、ブログではじっくり読者のことを思ったり、自分の内面を掘り下げてから文章を書き上げられるから、私的に文章に対する姿勢にマッチするので好きである。

 

社会人登山サークル

満足度 ★★

役立ち度 ★★

働きはじめてからしばらくして、共通の趣味でつながった友人がもっといたらいいなぁと強く思うようになった。まず友人がほしいという気持ちがあり、将来的に国立公園や山での撮影を始めるにあたって、登山の知識を深めたいという動機もあってサークルに入った。しかし入ったはいいものの、2年の間実際山に登ったのは1回きりで交流会に顔を出した回数の方が多い(しかも年に数回程度)。おそらく主催者とメンバーの年齢差がままあり(主催は20歳は上でメンバーはほぼ全員が20代)、主催者が企画などの権限を全面的に担い教師然としていて、メンバーがいまいち自主性や当事者性を持ちづらい状況にあるからだと思う。当分やめるつもりはないけどがっつり参加できる時間も気力もないので、今年は最低1回は登山活動に参加できたらいいな。

 

ペンネーム問題

この記事を書きながら長いこと頭の中に浮かんでいるのが、ペンネームを使うか問題。近い将来にポートフォリオサイトを立ち上げて、そのページと同列にリンクツリーなんかにまとめてアクセスできるようにしたいと考えているから、本名で公開することにも特に抵抗はないのだけど。

ペンネームを使うことの利点は、炎上した際に心理的ダメージを直接受けなくて済むというリスク回避の部分にある。私は以前、例の意識高い系ブログ用にアカウントを別に作って参加していて、そこでは発言者が喧嘩腰の人に絡まれたり、炎上気味に盛り上がることも割と珍しくなかった。HNを使うことで、かりに自分の発言に対して批判的な意見が投げかけられたとしても、「あぁ、(私の中の)キャシーが何か言われてるわ」くらいに処理して、他人事のように状況を俯瞰で見ることができた。コミュニティ内での自分はキャシーで、自分の中の一人格に過ぎない、だから本体である本名の自分はそれほどダメージを受けない。これは最近の発見なんだけど、みんなはもしかしてその心理にとっくに気がついているのかな。ツイッターなんて本名でやってるほうが珍しいしね。

反対に、本名で投稿することの利点は、ペンネームに比べて発言の内容に信用が大幅に乗っかるという、いわば攻めのメリットである。このブログはたとえ不定期でも最低10年くらいは続けていきたいし、一定の読者の方に面白い読み物としての信頼を得るためにはそれくらいの年月はかける必要があるだろうと考えている。先ほど書いたように、ポートフォリオサイトと併せて公開することを考えて、当面は本名で統一して投稿する方向性でいるので、作家活動と並行してこのブログの信頼度も少しは上がるかなと。気が変われば新しく作り直す可能性も残してまーす。

*1:そこに行くといつもの顔ぶれ(若者言葉でいつめん、英語で言うとSquad)がいる場所な意味で使っている。身近な例をあげると常連のいるバー